現代に蘇る金の道
江戸時代に佐渡金山で産出した金銀は、およそ2000億円にのぼるとされる。その何割かが江戸城に送られた。その「金の道」を、歩こうという「お金送り」現代版が、このたび企画された。
佐渡の海峡は葵の御船で
佐渡奉行所(佐渡・相川町)の御金蔵から運び出される金銀荷は、木箱に入れて封印し、対岸の出雲崎まで運んだ。その距離は海上72`。
海峡を渡る官戦は、御座船とも呼ばれる奉行船との兼用である。船のまわりに幔幕が張られ、白地に紺色の葵の御紋ののぼりが舳先に、また船尾にはくれないの吹流しを立てた。
「金の道」は信濃路
出雲崎からは陸路で江戸までの距離はおよそ92里(368`)。出雲崎では支度のため2泊、それからの泊まりは、原則として鉢崎、高田(新潟県)野尻、屋代、小諸(長野県)、坂本、高崎(群馬県)の順で、埼玉県に入って熊谷と浦和。最終日が江戸の板橋泊まりとなる。
1日37`のペースで早ければ10日間かかって江戸へ着く。
1都4県を通る長い旅
享保7年、当時の記録によると銀702貫目を70箱に詰め、馬70頭で出立し、越後の高田では、殿様から「御礼儀」として大鯛2枚、酒樽1つが宿に届いたという。
坂下御門で江戸城へ
江戸入り前日、板橋にて箱の荷造りをきれいにしたり、家来たちの身支度を整えたりし坂下御門に向かう。御門前で箱を積み上げると、城内の黒鍬衆衆により御金荷を運び入れる。帰りには、金荷請取の手形をもらって退出し、同道して坂下御門を後にした。
世界有数の銀産地
佐渡の金山は銀の産額で世界的に知られており、17世紀の初頭には世界文化遺産に登録されたボリビアのポトシ銀山に次いで世界第2位の産額となる。
(資料:毎日新聞平成10年5月22日夕刊より)